勝間和代と乙武洋匡の違い(他人は変えられないが、自分は変えられるって話)

年上の人から、「近頃の若いものは・・・」て言われるとむかつくお話

このセリフ、これまでの人生で何度聞いたことか!居酒屋で上司と飲んだりするときの、完全無欠のテンプレート。

でも、これって当事者意識がまるでなくて、おかしいですよね。
「近頃の若いもの」は突然変異でもなく、宇宙から襲来してきたわけでもなく、誰かが生み、誰かが育てた人たちなのですから。
「近頃の若いもの」を育てた人たちは、それを言ってる年上の人たち本人です。
だから、「近頃の若いもの」の話しをするなら、その後に「そんな風に育ててしまってすいません!」みたいな謝罪というか、後悔の言葉があればしっくりくるんですけどね。
(そんな人がいたら気持ち悪いですけど。。。。)

もし世の中が悪くなったら、それは誰のせいでもなくて、自分のせいです。


(参考)近頃の若い者は - アンサイクロペディア


この、「他人は変えられないが、自分は変えられる」って意識、社員研修とか自己啓発本でよく聞くお話です。しかし、なかなか実践するのは難しい。そりゃあ、自分が変わるより他人が変わってくれたほうが楽ですからね。




さてさて、そんな中で。

勝間和代さんがAmazonに怒っている件

勝間和代さんが自分のレビューがひどいことについて、Amazonを叩いているのを読んで、非常に残念な印象を受けました。

日々の生活から起きていることを観察しよう!!: アマゾンのレビューが荒れやすい理由への考察〜そしてアマゾンの対応についての報告

簡単に言えば、

    1. 著者の知名度が広がるにつれて、必ず「アンチ」が生まれます。
    2. ところが、アマゾンは「アンチ」のレビューに対して、以下の理由で、たいへん脆弱なしくみを持っています。
    3. そして、アンチの人が下記のような行動を行えば、レビューを簡単に荒らすことができます。

だから、Amazonレビューシステム改善して!!

という流れ。
多重アカウントを作ってのアンチ活動が全体のレビューのどれぐらいの割合で、勝間さんのレビューでどのぐらいの割合があるのかは分かりませんが、そんだけアンチがいるのってなんでか、考えたことないのでしょうか?著者の知名度が広がってるからアンチが増えるって?自分に原因はなし?じゃあ知名度下げればいいんじゃないの?「自分はいろんなところに露出して知名度を上げます!でもアンチは作りたくありません!そういう世の中にして!」って、そんなことは無理でしょう。

また、このレビューシステムって別に著者が読者の意見を参考にするためのシステムじゃないと思うのですが・・・
Amazonがレビューシステムをどのようにするかは、購入するユーザの意見に耳を傾けるべきであって、著者がどうこういうのは・・・






さてさて、そんな中で。

乙武洋匡さんのかっこよさ

Twitter上で「たちあがれ日本で出馬?」と質問され「立ち上がる足がない」と自虐的コメントをしたりと、いろいろおもしろいこの方。
しかし、2ちゃんねるに対するこの意見が最高にかっこいいです。

誰もが自由に書き込みできる匿名掲示板「2ちゃんねる」において、僕は不思議と愛されているようで、これまでも何百回となく殺されている。だから、今回だって特に驚きはしない。いつものことだから。
 そりゃ、ヘコむ。いい気持ちはしない。その書き込みを見た友だちは、気遣いの言葉をかけてくれる。

 「そんなの気にするなよ」
 「無視するに限るよ」

 彼らの忠告はありがたいけれど、僕はあえて気にするようにしている。せっかくボロクソに書いてもらっているのに、無視するのはもったいないから。

 読者やファンの人から送られてくるメールや手紙は、そのほとんどが僕を誉めそやすものだ。街を歩けば、「いつも観てますよ」「勇気をもらってます」。若い女の子にキャーと言われれば、やっぱり悪い気はしない。仕事先にはスタッフがいて、いつも気を遣ってもらっている。暑くないか。寒くはないか。のどが渇いてはいないか。黙っていても、快適な環境が自然と用意される。

 若くして世に出てしまった僕に強く物が言える人がいないのは、僕にとって大きな不幸だと思っている。僕はそう強い人間ではないから、時折、このまま傲慢な人間になってしまわないだろうかと不安になることがある。そんなとき、僕はパソコンを開き、「お気に入り」のフォルダから「2ちゃんねる」を選び出す。僕を悪く言う人々の書き込みを読む。薬みたいなものかもしれない。それまで持っていた自信や自尊心といったものが一気に崩れ去り、代わりに謙虚な心が入り込む。泣きたくなることもある。でも、それくらいがちょうどいいと思っている。

 彼らの文言は、あまりに心なく、的外れなものが多い。けれども、時に足元を見つめさせてくれるものもある。「あんな文才のないやつが」と書かれれば文章を磨くことに貪欲になれるし、「障害があること以外に何のウリもない」と指摘されればウリを作ろうと必死になれる。

 匿名だからこそ好き勝手に書けるけれど、匿名だからこそ本心が出る。僕をよく思っていない人たちの存在を知り、意見を聞くことで、見たくない自分の姿が見えてくる。そこから目をそらすことの方がよっぽど簡単でラクなことだとはわかっているけれど……。

 名誉毀損をちらつかせながら彼らを黙らせることは、確かにできるのかもしれない。でも、それでは単に彼らの口を閉ざしたに過ぎない。誹謗中傷する人々の気持ちを少しでも変えるよう努力する。それは、僕にとって意味のないことではない。

乙武洋匡公式サイト: 2ちゃんねる


悟り開きすぎ。常に何事にも、こういう姿勢でいたいものです。