格差原理のとこ読んだら、松下幸之助の運がいい発言を思い出した

マイケル・サンデル「これからの正義の話をしよう」を読みました。


これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学


とてもおもしろかったです。
また、この本がこれだけバカ売れしているのがおもしろいですね。政治哲学の話ですよ。この本。しかも、345ページあってボリュームたっぷり。なんて売れなさそうなジャンル!(笑)NHKの力だとかなんだとかが大きいと思いますが、僕はまず、タイトルを原題からちょっと変えたのが良かったんだろうなーと思いました。
原題は、『Justice Whtat's the Right Things to Do?』です。訳すと、『正義 正しい行いとは何か?』って感じでしょうか。なんかいかにも哲学っぽいですね。堅い!
それが、『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』ですからね。”いまを生き延びる”とか、なんだか自己啓発本みたいになってしまいました。きっと、自己啓発本大好き層が結構流れて買ったんだろうなーと推測。





その中で、ジョン・ロールズの格差原理の話がおもしろかったです。政治における平等とかの考え方が、こんな風に哲学とつながっているとは知りませんでした。
あと、それを読んでいたら松下幸之助のことを思い出しました。


ジョン・ロールズの格差原理とは?

ロールズって、あんまり有名じゃないですよね?この人は、本書の第6章「平等をめぐる議論」で登場してきます。

彼の格差原理とは、格差賛成!というものです。ただし、その格差は条件付き。その条件とは、最も恵まれない人々が便益を得るようなシステムである場合、です。

彼は、どのようなものが真に平等といえるか?という問題を考えたときに、以下のように考えました。

「自分が社会のどの位置にいるのかはわからない状態(無知のベールをかぶった状態)でみんなで決めた原則が、真の平等だ。」

無知のベールをかぶると、一時的に自分は何者かがまったくわからなくなる。自分が属する階級も、性別も、人種も、民族も、政治的意見も、宗教上の信念もわからない。自分の強みや弱みもわからない。つまり自分は健康なのか虚弱なのか、大学を出ているのか高校を中退したのか、家族の絆は強いか弱いかも、いっさいわからないのだ。もし全員がこうした情報を持っていないなら、実質的には誰もが平等の原初状態で選択を行うことになる。交渉力に差がない以上、人びとが同意する原則は公正なものとなるはずだ。


このような思考実験をした場合、人びとはどのような原則を選ぶか?ロールズは考えました。
まず、功利主義的な原理は否定されると考えました。無知のベールをかぶっていたら、自分が少数派になったときのリスクを避けたいと考えられるからです。例えば、功利主義ではみんなの幸せのために自分一人がいけにえになるような状態を正しいとするから。
次に、徹底した自由競争やリバタリアニズムを選ぶ人もいません。自由競争の末に自分が大金持ちになったらよいが、ホームレスになるのは嫌だからです。
このように考え、ロールズは二つの原理を導きました。

第一原理は、言論の自由や心境の自由といった基本的自由をすべての人に平等に与えるというものだ。・・・(中略)・・・第二原理は、・・・(中略)・・・所得と富の平等な分配を求めるものの、社会で最も不遇な立場にある人びとの利益になるような社会的・経済的不平等のみを認めるのだ。

彼が単なる平等主義者と一線を画しているところは、ただ単純にみんなを平等にすることを認めていないところです。
例えば、タイガー・ウッズはゴルフで巨額の報酬を得ています。もし平等という考えのもと、プロゴルフでの収入を年収500万円まで!とか規定したらどうなるか?そうした場合、誰もプロゴルファーを目指さなくなるし、プロゴルフを楽しみにしている人は楽しみを奪われるわけだし、彼のゴルフの才能をビジネスとして利用している人は職を奪われ、さらに税収も減り、回りまわって世界中が不幸になるわけです。
だから、ロールズは「才能のあるものはその才能で稼いでいいよ。ただし、ちゃんと不遇な人のために税金ちょうだいね。」といいます。
実際、みんなが平等な社会なんてつまんないし、そんなんじゃみんな努力しなくなって、どんどん堕落しちゃいますからね。そういった意味では、彼は理想主義と現実主義をうまいこと融合させたといえるでしょう。

しかし、それだと儲かっている人は、なんで貧乏人に自分の金をあげないといけないの?と思うでしょう。これに対して、ロールズはこう考えます。




「おまえが儲かっているのなんて、運がいいからなの!いい家に生まれてたり、いい教育受けられたり、チャンスに恵まれたりしたからなの!」
「いやいや、それだと自分の生まれ持った才能で俺努力してがんばったんだけど、そこはどうなの?」
「おまえの生まれ持った才能も、運がいいからなの!おまえが努力できるのも、そういう才能があるからなの!」


そんな感じで、ロールズは「みんなの違いはすべて運が決めたんだから、仲良くやっていこーぜ!」と提案しました。

格差原理とは、いわば個人に分配された天賦の才を全体の資産とみなし、それらの才能が生み出した利益を分かち合うことに関する同意だ。


(参考)ジョン・ロールズ - Wikipedia
(参考)ハーバード大学:サンデル教授「 JUSTICE 」 当サイト独自のまとめ(白熱教室) | VISUALECTURE

松下幸之助の面接の話


話は変わって、松下幸之助松下電器産業の就職面接において、よく以下のような質問を投げかけたそうです。



「君はこれまで運がいい方でしたか? それとも運が悪い方でしたか?」

結果、「とても運が良かったです」と答えた学生は「合格!」になり、「運がいい方ではありません」と答えた学生は「不合格」になりました。その理由は、「運が良かったという人は、周りの人に助けられてきたという『感謝』の気持ちのある人で、たとえ逆境に陥っても、(運のせいにせず)前向きに取り組める人物だ」と判断していたからです。松下幸之助さん自身、「私は運が良かったから成功した」とよく言っていたそうです。
(引用)“絶対に落ち込まない思考回路”の作り方 - [フリーランス]All About


これ、格差原理から考えると、また別の観点から、なるほどな質問ですよね。

格差原理の考え方からいうと、運がいいというのは”自分の生まれ持った能力も含めて”運がいい、ということです。自分のことを”運がいい”と言える人間は、自分が能力が高いというのを潜在的に分かっている人なのではないでしょうか?そういう風に考えると、面接で能力の高い人間を選抜するのに、「運がいいか悪いか」という質問は、極めて適切な気がしてきます。



全然二人が言っていることは違う話なんですけど、妙なつながりを感じてしまいました。