2009年に読んでおもしろかった本ベスト3

主に自分の中で忘れないようにしようと思うのと、あんまりにもおもしろかったので、誰かと「この本のここがすごいよねー!」っていうのを話したいため、書きます。



昨年もいろんな本を読んでみたけれど、その中でも以下の3冊はすごいおもしろかったです!
明日いきなり、本屋で一冊買ってみて一日かけて読んでも後悔しないこと請負いの名作!
(読んだら、たぶん夜中に興奮して誰かに話したくなる僕の気持ちがわかるはず。)





その1「フェルマーの最終定理」(サイモン・シン

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

「17世紀、ひとりの数学者が謎に満ちた言葉を残した。「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」以後、あまりにも有名になったこの数学界最大の超難問「フェルマーの最終定理」への挑戦が始まったが―。天才数学者ワイルズの完全証明に至る波乱のドラマを軸に、3世紀に及ぶ数学者たちの苦闘を描く、感動の数学ノンフィクション。」



フェルマーの最終定理って知ってますか?大体、「フェルマー」と「最終定理」はセットで覚えてると思うんですけど、「3 以上の自然数 n について、x^n + y^n = z^n となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがない」っていう定理。

マチュア変態数学者フェルマーは300年も前にこれを解いたって言っておきながら、証明を書き残してなかったんで、みんな困った困った。
仕方ないから残された人々はチャレンジしてみるが、誰も解けない。
めっちゃ簡単そうなのに、300年経っても誰も解けないので、数学界でタブーになっちゃった。で、それを子供の頃に知り、「いつか大人になったら解きたい!」って思ったワイルズさんが、数学者として大成したあとにチャレンジし、それを解く話。

数学っていうと堅苦しそうな話と思うかもしれないけど、びっくりするほどドラマチック!

まず、ワイルズ少年が子供のころに出会ったひとつの数式を大人になるまでずっと覚えていて、全然違う研究をしてたのにそれがフェルマーの最終定理を解くカギになっていて・・・っていう流れが、すごい運命的。
いわゆる、「子供の頃の夢をかなえるお話」って、スポーツの話だとか、もっと華やかな世界の物語ではありがちな感動ドラマだけど、それを数学でっていうのがおもしろい。
でも、数式を解いていくだけの物語なのに、そこにはいろいろな人々の思惑があり、夢があり、人生があり、歴史があり、そういうものをワイルズがうけついで、困難な壁に立ち向かっていくのが感動的。

数学の話っていうと、「知的好奇心が満たされるところがおもしろいの?」って思うかもしれないけど、この本はちょっと違う。
むしろ、ワンピースとかロードオブザリングに匹敵する冒険物語であり、大河ドラマのような歴史の壮大さを感じる。おおげさじゃなく、本気で。

一度でも、「数学おもしれー!」って思ったことある人はきっと共感できるはず。


うまく表現できないので、「数学ってこんなに人間くさいドラマがあったんだー!」っていうエピソード。

フェルマーはアマチュア数学者のくせに、ときどきプロの数学者に「俺こんな定理発見したんだけど、おまえは証明できるかな〜?m9(^Д^)プギャー」とか挑戦状出してた。でも、難しくてみんな解けない。数学者が、「おまえホントは解けてないだろーが!」っ言ったら、「きみたちバカだね〜。俺解けたもんねー。」って言って回答を送る。最強に意地悪。まさに変態。

・ある金持ちのおじさんは、金持ちのくせにメンタル弱い。失恋のショックで自殺しようとするが、その日の0時に死ぬと決めた直前にフェルマーの最終定理のことを知り、「あれ、俺解けるんじゃね?」と思ってしまう。で、実際に解いてみたが、やっぱり解けず。でも、その証明にハマってたら、いつのまにか朝に。
「あぁ!数学ってすばらしい!こんな素晴らしさを私に与えてくれたんだから感謝を込めて、この定理を解いた人に私の財産をあげよう!」
→で、フェルマーの最終定理に多額の懸賞金。数学者萌えー。

他にもいろいろ。781円の文庫本で、ワンピース10巻分ぐらいはおもしろい!と思います!





その2「理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性」(高橋昌一郎

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)


「アロウ、ハイゼンベルクゲーデルらの思索を平易に解説しつつ、人類が到達した「選択」「科学」「知識」の限界論の核心へ。 知的刺激にみちた、「理性の限界」をめぐる論理学ディベート。」


ディベート形式で、3つの「理性の限界」について紹介。選択の「不可能性」、物理の「不確定性」、数学の「不完全性」。
これは純粋に学問的に興味深い一冊なんだけど、小難しい話が超読みやすい。「会社員」とか、「数理経済学者」とか、「哲学史家」とかの登場人物が自分の意見をディベート形式にしているので、サクサク読めます。

選択の不可能性ってのは、簡単に言えば「民主主義的に完全に平等な多数決なんてできない」ってことです。
(これ、私的には僕が小学生の頃に学級委員の選挙で抱いた疑問だったんで、ホントにそうだったって知って感動しました。)

説明すると、たとえば学級委員を選ぶときに、「3人の候補者から好きな人を選ぶ」だと、最多得票のAさんが学級委員に決まるとします。
でも、これって本当に正しい選び方なんでしょうか?「3人の候補者から嫌いな人を選ぶ」だと、最小得票のBさんが学級委員になるかもしれない。(Aさんを好きな人も多いが、嫌っている人も多い場合。)
それ以外に、「3人の中から一番いいと思うひとに2点、二番目にいいと思う人に1点で投票」って形式だと、今度はCさんが学級委員に選ばれるかもしれない。

これを拡張して一般化したのが、「アロウの不可能性定理」です。


物理の不確定性ってのは、「ハイゼンベルグ不確定性原理」。量子力学で、粒子の位置と運動量が同時には定まらないってやつです。
これは話すと長くなるし、教科書で習うので割愛。


数学の不完全性っていうのは、「ゲーデル不完全性定理」。

「ある矛盾のない数学体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が存在する。」
って感じ。

なんじゃそりゃー!(笑)。
つまり、数学では証明できないものもあるってことが数学的に証明できちゃったってことです!

これは、僕のような一般人にはびっくりなことで、「数学って完璧なんじゃないの?」って思っていたので、目からウロコ。
要するに、正しそうな数学の予想があったとしても、それが実はどんなにがんばっても証明できないかもしれないよーって話。
えぇー、マジかよ!

簡単な説明は以下のとおり。
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/fukanzen.html


人間の学問ってすごいところまで来ちゃったんですね〜。


その3「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド


銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

「なぜ人間は五つの大陸で異なる発展をとげたのか?人類史の壮大なミステリーに挑んだ話題の書!ピュリッツァー賞、コスモス国際賞受賞。」

僕の好きなブログで紹介されていた、「東大、京大、北大、広大の教師が新入生にオススメする100冊」の1位がこの本。いやはや、これは名作。


「世界って、なんでこんなに偏ってるんだろう?」って、思ったことないですか?
たとえば、アメリカとかヨーロッパってあんなに栄えてんのに、アフリカって超貧しいですよね。なにこれ?偶然?大航海時代とか、なんであんなに世界中征服されてんの?やっぱ白人って賢いの?ユダヤ人はIQ高いっていうけど、ほんと?それって生物学的にそうなの?それとも、今の世界のこの状況は、偶然できたの?

こんな疑問に、著者の生物地理学だとか文化人類学だとかの知識からアプローチしたのが、この一冊です。
で、それに対する回答のひとつがこの一見気味の悪いタイトル。
いわく、「銃・病原菌・鉄」のおかげで、先にあげた国々は栄えたんだよーってこと。


人類はアフリカで生まれて世界に散らばり、氷河期が終わる1万3000年前にはだいたいどこの大陸の人間も似たような狩猟採集生活をおこなっていた。
でも、16世紀には南アメリカ大陸インカ帝国をスペイン人が征服し、そこからヨーロッパ人大活躍。世界制覇。
これってどういうこと?その間に急激に文明の発達に違いがあったのは、ヨーロッパ人賢いから?

征服できた直接の要因は、スペイン人が銃を持っていたから。そして、インカ帝国の人々が耐性のない病原菌を数多くもっていたから。(生物兵器という意味でなく、感染病を持ち込んだ。)そして、発達した鉄の加工技術を持っていたから。

じゃあ、なぜスペイン人は「銃・病原菌・鉄」を持てて、インカ帝国の人々は持てなかったんだ?同じ1万3000年に、どんな違いがあったんでしょうか?

筆者の結論をいうと、それは人種による賢さの差でなく、その大陸ごとの環境の差。

その環境の差がどう文明の発達に影響したかっていうのは、いろんな要素があるから一口では言い表せない。でもそのひとつひとつの要因だけで、めいっぱいいろんな雑学が詰まっていて、「へぇ〜」の嵐。

たとえば、

アメリカ大陸のインディアンやオーストラリア人は自分の大陸の動物で、家畜を持つことができなかった。それは、アフリカから人類が長い年月をかけて世界に大移動した際、アメリカ大陸とオーストラリアにたどり着いたときに既に狩りがうまくなりすぎて、大型哺乳類を絶滅させてしまったから。

南北アメリカ大陸より、ユーラシア大陸の方が農業の知恵を広めやすかった。それは、南北に長いと育てられる作物や住環境が違うため。

・人間が栽培できて、なおかつ食べることが可能な植物は、地球にある多種多様な植物の一握り。現在主要な作物はごく一部の地域に自生していた植物の突然変異などを利用して生まれたもの。

・人間は農業によって食料の安定した供給を生み出し、ひとつの地域に密集可能となった。それによって、労働者の余剰を生み出し、文明を発達させることが可能となった。

・人口が密集することにより、伝染病が流行した。それに耐性を持った人間が生き残ることで、文明社会の人間は病原菌に強くなった。

・文明人が他の大陸に移住し始めたとき、侵略戦争より伝染病で多くの原住民が死んでいる。

・「必要は発明の母である」というのは間違いで、「発明は必要の母である」。実際に優れた発明があっても、それを必要とする社会がなければ、広まらないまましぼんでしまうことがある。たとえば、古代メキシコ人は独自に車輪を発明したが、車輪を物資の輸送に使っていない。それは、車輪のついた車を牽引できる家畜を持っていなかったため。
(車輪は人類の歴史における、一大発明なのに)



僕は日本史も地理もあんまり好きじゃなくって、社会は倫理以外まじめに勉強しなかったんだけど、これはおもしろいです。
人類の歴史を、WhatとかWhenではなく、WhyとかHowでとらえているのが新鮮。しかも、「どこの王朝がどう侵略したか〜」なんて瑣末な話ではなく、もっと全体を俯瞰して、ダイナミックに歴史の本質を探り当てています。

ちょっと価値観が変わる一冊。