誰かのことを思いっきりけなすことへの覚悟

何かの産業について、思いっきりけなしている人っているじゃないですか。

例えばパチンコとか。例えばタバコとか。最近だとソーシャルゲームも叩かれがちですね。僕は、この3つだとパチンコはいらないと思っていて、タバコはOKで、ソーシャルゲームは「儲かっていてうらやましいなーちくしょー!」とは思ってむかつくけど、OKです。で、まぁパチンコを例にとって言うと、1700万人とかが遊んでいるんですよ。データがなかったんですが、たぶん10万人ぐらいはそこで働いているんですよ。毎日毎日。で、僕が飲み屋で友達とパチンコの悪口を言うのならその人もパチンコ関係の人間じゃないって分かるからいいんですけど、Twitterとかブログだと意外とそこに働いている人もいたりして、その人の見ている前であんまり激しく存在意義というか、人格否定するまでその産業を貶めるのってはばかられるんですよね。もちろん批判が悪いわけじゃなくて。なるべく「罪を憎んで、人を憎まず」的な言い方にしようと思うんですよね。罪というか、「システムを憎んで、人を憎まず」的な。だって、嫌じゃないですか、自分の友達とかが悲しい思いをするのって。
もちろんその人に嫌われたくないっていう小ずるい思いもあるんですけど、それ以上に知っている人の悲しい顔を具体的に思い浮かべると、やっぱ言い方考えようかなーって思っちゃうんですよね。

特に今って誰もが簡単になんでも発言できて力を持ててしまうから、そういうのって気をつけようと思いました。僕は別にジャーナリストになる覚悟なんてないから。

何かの産業について、思いっきりけなしている人っているじゃないですか。きっとそういう人って、たぶんいろんなことを覚悟しているんだろうなぁと思います。だってそんな風に人格否定してまで世の中に問題提起するのって、きっと色んな人ともう友達にはなれないから。

だから、最近はネットを使ってあんまり簡単にいろんな発言ができるようになったからって、よく調べもせずに何かを叩くのは怖いことだなぁと思いました。

青臭い意見というか、見当違いな意見ですかね?そういう誰かの顔に遠慮してものが言えないのって、逆によくないこと?よく分かりません。

おまけ

っていうように考えたら、まるで「じゃあ二度と会わないような少数派の人たちなら叩いていいのか?」みたいな疑問を思いました。うーん、それもだめですね。でも、言われる人の気持ちを考えたいのは間違いない。

自戒をこめて