「否定をするなら代案を」って一概に言うのよくない

最近Facebook佐藤可士和さんの同名の記事がシェアされているのを見かけまして、これってちょっと違うなぁと思うんですよね。

どんな立場の人でも「否定」するなら「代案」を出せ|佐藤可士和の打ち合わせ|ダイヤモンド・オンライン

 

僕的には、そのわずか2週間前に書かれていたけんすうさんの意見のほうが正しいと思いました。

「批判をするなら代案を出せ」は面倒な人への対処ツールにすぎないので、ルールのように扱わないほうがいい 〜明日の起業家たちへの伝言〜 | The First Penguin | 現代ビジネス [講談社]

 

「否定をするなら代案を」が有効な状況

「否定をするなら代案を」が有効な状況って、圧倒的に「アイデア出し」をするときだと思うんですよ。というか、佐藤可士和さんもその状況を想定してこの記事を書いているんだと思いますが、これを無視してなんでも「代案出せ!」と思っている人がいてびっくり。

たしかに、アイデア出しのときは否定をしないのは重要だと思います。ブレストのときとかにもよく言われると思いますが、「まずは他人のアイデアを批判しないこと」と。アイデア段階から批判していたら、みんなちょっとした思いつきを口に出せなくなってアイデアの発散がなくなっちゃいますからね。

否定をしなきゃいけないのは、判断をするとき

代案がなくても否定をしなきゃいけないのは、出てきたアイデアの中でどれがいいかを比較するときや、それをやるのかどうかを判断する時です。このときに「否定をするなら代案を出せ」って言ってたら、課題設定によっては「やる」が決定されちゃうときってありますよね。

ブコメにこんなのもありましたね。

「このままではジリ貧だ。乾坤一擲、開戦しかない」「え~生産力が数十倍の国に喧嘩売って勝てるの?」「否定するなら『代案』を出せ」の結末からもうすぐ70年。 

 

難しいのは

そんな中で難しいのは、今がアイデア出しの段階なのか、判断する段階なのかって会議の目的設定です。例えば社内で新規企画の会議があって、そこで上の人が判断するなら出てきた案に代案なくボロクソに言ってもまぁそうだよねってなるでしょう。お金使って無駄なことするならやらない方がいい。

でも明日までにクライアントに提案書を出さなきゃいけなくて、上司が「こんな企画ダメだ」って代案なく言ったら部下は困るでしょう。「そんなこと言われても明日提出しなきゃいけないのに…」って。そういうそもそもなんらかのアイデアを出さなきゃいけないときは、「否定をするなら代案を」精神はたしかに必要だと思います。

 

しかし、「今はアイデア出しなのか、判断するときなのか」のジャッジが難しいのは、そりゃアイデア出せるものなら出したいけどあまりにもひどいものはいらないしっていうグレーな状況が多いからだと思っています。なので、そこをきちんとファシリテーションしたり、参加メンバーの気持ちが同じ方向向いているかが問われるのかなぁと。